百済王朝の文化を訪ねて その2

紀元前後、中国の北方、吉林省と黒竜江省の境目あたりの扶余族の王の血筋をひく兄弟が南下し、弟の温祚は「十済」を、兄の沸流は、海浜に国を起こしました。
弟の温祚が起こした「十済」は繁栄し、兄の沸流が起こした国は貧しく、兄沸流が亡くなったあと、温祚は兄の国の百姓を受け入れて、国名を「百済」としたと伝えられています。

百済の歴史書は現存せず、宋書、魏書、日本書紀、古事記など中国や日本の史書の内容が元になっていて、中国の史書で「百済」の国名が記されているのは4世紀からです。
日本の古事記にも応神天皇の治世に記されています。応神天皇の治世は3世紀後半から4世紀初と推察されていますが、日本書紀や古事記の記述をもとに推定された年代です。

2日目の午前中、17年の歳月と6900億ウォンを投じて再現したという百済文化団地を訪問しました。
そもそも文献は残っていないそうなので、中国・日本の史書や同年代の建造物等から、想像してつくられたものみたいです。
厳密にいうと和韓中折衷。
どこまで正しく、どこまで間違っているかは判りませんが、一見の価値はあります。

アウトレットの建設現場と公州の旧石器時代の遺跡を見学したあと、公山城へ。
公山城は、朝鮮時代にも山城としてつかわれたらしく、朝鮮時代の遺構の遺構が残っています。
最後は武寧王陵を見学して帰途につきました。
朝鮮時代の王陵は、土まんじゅうが並んでいるだけですが、武寧王陵は古墳群のなかにあり、王墓を忠実に再現した模型もあります。

朝の百済
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正門
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城内

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仏塔

城門をくぐると
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百済人発見!!

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百済を後に

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アウトレット

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公州で旧石器人が出迎え
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博物館で特別展を開催中
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公州市
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公山城の城門
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公山城から観る公州市内
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武寧王陵

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王墓の中

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kazNewsweek記者

投稿者プロフィール

広告プランナー兼フォトグラファー。広告印刷とWEBプランニングに従事して早20年。日系企業の韓国ビジネスに詳しい。韓国経済や社会文化情報の発信を行い、外国人生活モニターとしてソウル市に改善提案を行っている。
週末には日韓米豪いろんな国の人たちと趣味の音楽を愉しんだり、カメラ片手にソウルや近隣をここかしこ徘徊したりしています。

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