韓国・ソウルのおすすめホテル[特1級]ソウル中心・江南
ソウル中心部(南山周辺)と江南(カンナム)エリアは、いずれも5つ星クラスのホテルが揃う宿泊エリアだ。中心部は落ち着いた滞在と眺望、江南は展示会・ビジネスとショッピングに強みがある。ここでは、日本人の利用が多い代表的なホテルを、立地の特徴とあわせて紹介する。市庁・明洞エリアのホテルは別記事で扱っている。
等級表記について
韓国のホテル等級は2015年に、従来の「特1級・特2級…」という表記から星(星級)表示へ切り替わっている。かつての特1級が現在の5つ星、特2級が4つ星にあたる。本記事で紹介するのは、いずれも最上位クラスにあたるホテルだ。
ソウル中心部:グランド…
韓国・ソウルのおすすめホテル[特1級]市庁・明洞
ソウルの市庁(シチョン)・明洞(ミョンドン)エリアは、観光・ショッピング・ビジネスのいずれにも便利な立地で、日本人旅行者・出張者に最も人気の高い宿泊エリアだ。空港からのアクセスも良く、地下鉄で市内各所へ移動しやすい。ここでは、このエリアを代表する5つ星クラスを中心としたホテルを紹介する。江南エリアのホテルについては別記事で扱っている。
エリアの特徴
明洞は化粧品店やファッションビル、飲食店が密集する韓国随一の繁華街で、市庁エリアは日系企業のオフィスが多く集まるビジネス街だ。両エリアは徒歩圏内で隣接しており、観光と出張のどちらを主目的にしても使い勝手が良い。南大門市場やソウル駅も徒歩・地下鉄1駅の距離にある。
なお、韓国のホテル等級は2015年に従来の「特1級・特2級…」という表記から星(星級)表示に切り替わっている。かつての特1級が現在の5つ星、特2級が4つ星にあたる。詳しくは「韓国のホテル」の記事で解説している。
ウエスティン朝鮮ソウル
明洞に隣接する、韓国でも屈指の歴史を持つホテル。敷地内には、朝鮮王朝時代の祭祀施設「圜丘壇(ファングダン)」の八角堂が今も残り、都心にありながら歴史的な景観を併せ持つのが特徴だ。日本大使館に近く、公式訪問での利用も多いことで知られる。現在は新世界グループ系の「朝鮮ホテル&リゾート」が運営している。
ザ・プラザ…
韓国のホテル 利用の手引き
韓国のホテルは5つ星(旧・特1級)から1…
韓国のホテル
韓国のホテルは、星(★)の数で等級を表示…
ヤンニョム(薬念)とは ── 韓国焼肉の「味付け」の考え方
韓国の焼肉メニューでよく見る「生(생)」…
「生首肉」? ── 韓国焼肉メニューの直訳に驚く話
韓国の焼肉屋のメニューには「生○○(생○…
沙也可(金忠善)
沙也可(さやか)は、文禄・慶長の役(壬辰倭乱)で日本軍として朝鮮に渡りながら、投降して朝鮮に帰化したと伝わる人物だ。朝鮮名を金忠善(キム・チュンソン)といい、韓国では英雄的に語られる一方、日本側に対応する記録がないことから、その正体は長く謎とされてきた。
伝わる経歴
伝承では、沙也可は豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して加藤清正の軍とともに釜山に上陸したのち、3千人の兵とともに朝鮮側へ投降。以後は朝鮮軍の指導にあたり、火縄銃の技術を伝えて秀吉軍と戦ったとされる。戦後は金忠善と名を改めて朝鮮に帰化し、大邱近郊の友鹿に定着した。
なぜ「謎」とされるのか
上陸直後の投降は寝返りに相当する重大事だが、大軍が総大将に背いて寝返ったという記録が日本側に見当たらない。また「沙也可」という名も、当時の武将の名乗りとしては不自然だ。
一方で、朝鮮側にとっては英雄として扱われている人物であり、架空の日本人をわざわざ英雄に仕立てる必然性は乏しい。このことから、沙也可に相当する日本人は実在したと考えるのが自然だ、というのが多くの見方である。
有力な説:雑賀衆
正体については諸説あるが、比較的有力とされるのが「雑賀(さいか)衆」説だ。雑賀衆は現在の和歌山を主な拠点とした傭兵集団で、鉄砲の扱いに長けた集団として戦国時代に活躍した。「沙也可」という音が「さいか」に通じる点も、この説が支持される理由のひとつだ。
他にも候補として名の挙がる人物はいるが、その多くは戦後も日本側の記録に名前が見えるため、帰国したと考えられており、朝鮮に残った沙也可とは合致しない。
なぜ寝返りが起こり得たのか
雑賀衆は伊賀・甲賀と並ぶ集団として知られ、鉄砲を有効に用いる傭兵として各地の戦に加わった。伊賀は徳川家康に仕えて江戸幕府に召し抱えられ、甲賀は豊臣秀吉に仕えたのち江戸時代には冷遇されたが、明治維新では倒幕側として参戦した。これに対し雑賀は、江戸時代の到来とともに姿を消している。
戦乱の世が終われば傭兵集団は職を失いかねない。もし秀吉や加藤清正から十分な報酬を得て従軍していたのであれば寝返る理由は乏しいが、自弁で参戦していたのなら、より高い処遇を示した側につく者が出てもおかしくはない。素性が傭兵・忍びの集団であれば、日本側の正史に名前が残らないことにも説明がつく——これが雑賀衆説の骨子だ。
ゆかりの地
大邱近郊には金忠善を祀る鹿洞書院と、日韓交流史を展示する達城韓日友好館がある。訪問については別記事「沙也可:大邱・達城韓日友好館」で紹介している。
よくある質問
Q.…
沙也可:大邱・達城韓日友好館
大邱(テグ)近郊に「達城韓日友好館」という記念館がある。文禄・慶長の役(壬辰倭乱)の際に日本軍から朝鮮側に投降し、そのまま朝鮮に帰化したと伝わる武将、沙也可(さやか)こと金忠善(キム・チュンソン)に関する資料を中心に、韓国と日本の交流の歴史を展示する施設だ。
沙也可(金忠善)とは
伝承によれば、沙也可は文禄元年(1592年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して加藤清正の軍とともに釜山に上陸した。ところが上陸まもなく3千人の兵とともに朝鮮側に投降し、火縄銃の技術を朝鮮に伝えるなど朝鮮軍の指導にあたって、秀吉軍と戦ったとされる。
戦後は朝鮮に帰化し、朝鮮王から金海金氏の姓を賜って「金忠善」と名乗った。大邱近郊の友鹿(ウロク)に土地を与えられ、その後も女真族の侵攻を撃退するなどの功績を重ね、正二品の位階まで昇進したと伝わる。
史実をめぐる3つの疑問
沙也可の実像については、日本側の記録が残っていないこともあり、古くから議論がある。よく指摘されるのは次の3点だ。
1.…
救仁寺
救仁寺(クインサ)は、韓国天台宗の総本山だ。丹陽八景で知られる忠清北道・丹陽(タニャン)郡の山間に1945年に建立された比較的新しい寺院だが、その規模は韓国屈指で、山の斜面を埋め尽くすように建物が積み重なる独特の景観で知られる。
圧倒的な規模
境内には5千人以上を収容できる大法堂をはじめ、三宝堂、説禅堂、総務院、長文室、香積堂、度香堂など50を超える建物が並ぶ。一万人以上分の炊事ができる設備も備えており、大規模な法要に対応する体制が整っている。
韓国の寺院は、敷地は広くても建物自体はさほど大きくないことが多い。そのなかで救仁寺は例外的にスケールが大きく、谷あいの斜面に多層階の建物がそびえ立つ光景は、他ではあまり見られない。建築様式も伝統的な木造伽藍とは異なり、コンクリート造の大型建築が中心という点でも一風変わっている。
信徒食堂
境内にある信徒食堂では、参拝者に昼食が無料で提供されている。訪問時間帯によっては利用できるので、山門で確認してみるとよい。
周辺:丹陽八景
救仁寺のある丹陽郡は「丹陽八景」と呼ばれる景勝地で知られ、奇岩や渓谷、洞窟などの自然景観が点在する。時間に余裕があれば、寺院参拝とあわせて周辺の景勝地をめぐる旅程を組むのもおすすめだ。
アクセス
東ソウル総合バスターミナルから、丹陽バスターミナルを経由して救仁寺まで向かう直行バスがある。終点が山門前で、所要時間はおよそ3時間弱。ソウルから日帰りも不可能ではないが、丹陽周辺の観光とあわせて1泊するとゆとりを持ってまわれる。
よくある質問
Q.…
奉元寺
奉元寺(ポンウォンサ)は、韓国仏教で曹渓宗に次ぐ規模を持つ太古宗(テゴジョン)の総本山だ。ソウル西部、延世大学の裏手にあたる鞍山(アンサン)の麓に位置し、都心にありながら落ち着いた雰囲気が保たれている。
寺の歴史
創建は新羅・真聖女王3年(889年)で、当初は現在の延世大学がある場所に「般若寺(パンヤサ)」として建てられた。文禄・慶長の役(壬辰倭乱)で焼失した後、朝鮮・英祖24年(1748年)に現在地へ移して再建され、その際に「奉元寺」と改名されたと伝わる。1100年以上の歴史を持つ古刹だ。
霊山斎(ヨンサンジェ)
奉元寺で最も知られる行事が、毎年6月6日に世界平和を祈願して営まれる「霊山斎」だ。霊山斎は仏教の儀礼に舞踊・音楽・美術が融合した総合芸術で、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。普段は目にする機会の少ない伝統仏教芸能に触れられる貴重な機会として、国内外から見学者が訪れる。
蓮の花の季節
夏には境内で蓮の花が咲き、「ソウル蓮の文化祭り」も開催される。緑の多い境内と蓮の花の取り合わせは、真夏のソウルで涼を感じられる風景だ。
アクセス
地下鉄2号線・新村(シンチョン)駅4番出口から7024番バスで約15分。京義中央線・新村駅からは徒歩30分ほどかかるため、バスかタクシーの利用が現実的だ。
よくある質問
Q.…
曹渓寺
曹渓寺(チョゲサ)は、韓国仏教最大宗派である曹渓宗の総本山だ。韓国では珍しく都心の繁華街に位置しており、地下鉄1号線・鐘閣(チョンガク)駅から安国(アングク)駅へ向かう通りに面している。仁寺洞や景福宮とあわせて、半日の散策コースに組み込みやすい。
大雄殿(テウンジョン)
境内の中心に建つ大雄殿は1938年に建てられたもので、韓国最大級の木造平屋建築として知られる。堂内には釈迦牟尼仏・阿弥陀如来・薬師如来の三尊が並び、日中は絶えず参拝者が訪れる。都心にありながら、一歩足を踏み入れると空気が変わる場所だ。
仏具店街とテンプルステイ情報センター
鐘閣から曹渓寺へ向かう通りには仏具店が軒を連ねる。法衣や木魚、仏像といった本格的な仏具のほか、数珠やろうそく、お香、人形やキーホルダーなどの土産物も扱っており、見て歩くだけでも楽しい一角だ。
道路を挟んだ向かい側には「テンプルステイ総合情報センター」があり、地下には仏教書や経典を扱う書店が入っている。テンプルステイ(寺院での宿泊体験)に関心があれば、ここで情報を集められる。
燃灯祝祭(ヨンドゥンチュクチェ)
毎年、釈迦生誕日(旧暦4月8日)の前後には「燃灯祝祭」が行われ、境内は色とりどりの提灯で埋め尽くされる。直前の週末には清渓川(チョンゲチョン)沿いにも提灯が並び、ソウルの初夏を代表する風物詩となっている。燃灯会はユネスコ無形文化遺産にも登録されている。
アクセス
地下鉄1号線・鐘閣駅2番出口から徒歩約5分、3号線・安国駅からも徒歩圏内。仁寺洞の骨董品街や景福宮とも近く、周辺観光とまとめてまわりやすい立地だ。
よくある質問
Q.…
韓国・弘大 若者に人気のファッションストリート
弘大(ホンデ)は、弘益(ホンイク)大学に隣接するエリアの通称で、ソウルでも屈指の若者文化の発信地だ。美術・デザイン系に強い弘益大の学生が多いことから、感度の高いファッション店やカフェ、ライブハウスが集まり、独特の街の空気をつくっている。
エリアの特徴
おしゃれなカフェや飲食店が密集し、路上パフォーマンスやインディーズバンドのライブが盛んなことでも知られる。週末の夜は特に賑わい、深夜まで人通りが絶えない。隣接する新村(シンチョン)は語学研修生や留学生に馴染みの深いエリアだが、店舗の華やかさや訪問客の多さでは弘大が上回る。
日本人にとっての弘大
弘大エリアには日系の飲食店や日本式居酒屋が多く集まっている。ラーメン、うどん、焼き鳥、ベーカリーなど、他の地域では見つけにくい日本料理店も揃っており、在韓日本人にとっては「日本の味が恋しくなったときに行く街」という位置づけでもある。新村や梨大(イデ)にも日本人経営の飲食店はあるが、団体で利用できる規模の店となると弘大が中心になる。
延南洞(ヨンナムドン)
弘大入口駅を挟んで弘益大とは反対側にあるのが延南洞だ。もともと華僑が多く暮らす地域で、本格的な中華料理店が集まっている。近年は弘大エリアよりテナント料が手頃なことから、弘大から移転してきた店も増え、新たな人気スポットとして注目を集めている。かつての鉄道跡地を整備した細長い公園「京義線숲길(キョンイソンスッキル)」が通っており、緑地沿いにカフェが並ぶ散策コースとしても人気だ。
アクセス
地下鉄2号線・京義中央線・空港鉄道が乗り入れる弘大入口駅が最寄り。空港鉄道が通っているため、仁川国際空港から乗り換えなしでアクセスできるのも大きな利点だ。
よくある質問
Q.…
