百済王朝の文化を訪ねて その1

百済王朝を訪ねて扶余と公州を巡ってきました。
百済の首都は、はじめはソウルの漢江南岸の漢城にありましたが、高句麗との対立で熊津(現在の公州)に遷り、6世紀に泗沘に遷都しました。
この泗沘がいまの扶余です。

泗沘に遷都してまもなく、百済の聖王から日本に仏教が伝えられました。
百済と倭朝廷の交流が続きましたが、660年、唐・新羅の連合軍によって百済の義慈王が捕らえられ、百済は滅亡しました。
このとき、王宮の女官3000人が川に飛び込んで亡くなった話は有名です。

百済滅亡当時、日本にいた百済王子の扶余豊璋を王として百済を復興しようとする動きがあり、倭朝廷が軍を派遣しました。(白村江の戦い)
斉明天皇の時代です。
斉明天皇は、大化の改新のときの皇極天皇と同一人物で、白村江の戦いの準備中に崩御してしまいますが、実権は中大兄皇子が掌握していたので戦いは続行します。

白村江の戦いに敗北し、扶余豊璋は日本に逃れ、多くの百済人が日本に亡命しました。
そして、倭朝廷は、唐や新羅に対抗するため、急ピッチで国家体制を整え、律令が作られました。
この660年から701年頃までの日本史も面白いのですが、本題とは関係ないので割愛します。
ちなみに、この大宝律令の制定と前後して「日本」という国名を使うようになりました。

593年 17条憲法;聖徳太子
645年 大化の改新;中大兄皇子(のちの天智天皇)
660年 百済滅亡
663年 白村江の戦い;扶余豊璋、中大兄皇子(のちの天智天皇)
681年 律令の制定に着手;天武天皇
689年 飛鳥浄御原令;持統天皇(天智天皇の娘で天武天皇の皇后)
701年 大宝律令(天武天皇と持統天皇の孫)

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仏教伝来
定林寺
定林寺
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現在の定林寺
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定林寺仏塔
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昼食
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扶蘇山城の道
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扶蘇山城から扶余市内を望む
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百済の舟
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百済滅亡;女官3000人が川に身を投じる
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現在の百済の舟
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宮南池
宮南池のマスコット
宮南池のマスコット
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これもマスコット??
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扶余名産;西瓜の試食
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ホテル到着
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百済の王宮
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王宮の音楽
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カメラ小僧(オヤジ?)たち
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主催者

kazNewsweek記者

投稿者プロフィール

広告プランナー兼フォトグラファー。広告印刷とWEBプランニングに従事して早20年。日系企業の韓国ビジネスに詳しい。韓国経済や社会文化情報の発信を行い、外国人生活モニターとしてソウル市に改善提案を行っている。
週末には日韓米豪いろんな国の人たちと趣味の音楽を愉しんだり、カメラ片手にソウルや近隣をここかしこ徘徊したりしています。

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