沙也可(金忠善)

沙也可(さやか)は豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、加藤清正の軍とともに釜山に上陸後、3000人の兵士とともに朝鮮に投降し、朝鮮軍の指導にあたって秀吉軍と戦ったといわれています。
文禄・慶長の役の後、金忠善と名を変えて、朝鮮に帰化しました。
上陸早々の投降は寝返りに相当しますが、大軍が総大将に逆らって寝返りした記録が日本にはなく、沙也可という名前も武将らしくありません。
真偽のほどはどうなのでしょうか。
朝鮮軍にとっては英雄の扱いで、架空の日本人を英雄にする必然性がないので、やはり沙也可に該当する日本人がいたのだろうと推測できます。
では誰か。
様々な説がありますが、雑賀衆というのが有力です。
雑賀(さいか)衆は現在の和歌山を主な拠点とした傭兵集団です。
ほかにもそれらしい人物がいますが、役のあとにも日本の記録に名前が見えることから、帰国したと考えれている人物ばかりです。
雑賀衆は、伊賀や甲賀と並ぶ忍者で、戦国時代には鉄砲を有効に用いた傭兵集団として活躍。
伊賀は徳川家康に仕えて江戸時代にも幕府から召抱えられました。
甲賀は豊臣秀吉に仕え江戸時代には辛酸をなめましたが、明治維新でも倒幕派として参戦しました。
一方の雑賀は江戸時代になり平和が訪れるとともに消滅しています。
戦国の世が終わり、平和な時代が訪れると傭兵集団は職を失いかねません。
もし、豊臣秀吉や加藤清正から報酬を得て出陣したのなら寝返ることはありませんが、手弁当で参戦したなら、より高い報酬が得られる側についた人がいたとしても不思議でありません。
素性が忍者なら日本の記録にないことも納得できます。
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kazNewsweek記者

投稿者プロフィール

広告プランナー兼フォトグラファー。広告印刷とWEBプランニングに従事して早20年。日系企業の韓国ビジネスに詳しい。韓国経済や社会文化情報の発信を行い、外国人生活モニターとしてソウル市に改善提案を行っている。
週末には日韓米豪いろんな国の人たちと趣味の音楽を愉しんだり、カメラ片手にソウルや近隣をここかしこ徘徊したりしています。

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