夏バテ料理
- 2013/8/16
- 韓国生活と文化
日本では古来、夏バテ防止に鰻を食べる風習があります。
石麿に 我物申す 夏痩せに 良しといふものぞ むなぎ捕り喫せ
(いわまろに われものもうす なつやせによしというものぞ うなぎとりめせ)
奈良時代の貴族で歌人として有名な大伴家持の歌で、とても痩せていた石麿という友人を「夏痩せ」とからかった歌と言われています。
奈良時代から夏バテ防止に鰻を食べていたようですが、夏の土用の丑の日に鰻を食べるようになったのは、江戸時代から。
ある鰻屋が夏に鰻を売るため、発明家としても有名な平賀源内の所に相談に行きました。
平賀源内は「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という伝承から、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧め、他の鰻屋も真似るようになり、夏の土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したといわれています。
夏バテ防止に梅や瓜を食べる習慣もありましたが、鰻を食べる習慣が残りました。
鰻の調理法は、鰻の腹を開いて、頭と骨をとって串に刺し醤油ベースのタレで焼く蒲焼きが一般的です。
武士の町である江戸では、腹から割くことは、切腹を連想させるということで、腹ではなく背中から割きます。
(背中から割くのは鰻だけで、他の魚は腹から割きます)
最近、ソウルでも、手軽な日本料理として、どんぶりの店を見かけるようになりましたが、鰻の蒲焼きがさめないように、ご飯の上にのせたのが、日本初のどんぶりといわれています。
鰻丼は山椒で香り付けをし、鰻の内蔵が入った吸い物「肝吸い」を添えます。陶器の丼で食べるのが鰻丼で、漆器の重箱で食べる鰻重もあります。
京都では、夏にハモを食べる風習があります。
骨を抜いて、さっと湯がいた湯引きを梅肉やからし酢味噌で食べます。
ハモは生命力が強い魚で、輸送技術の発達していなかった時代、海岸から離れた内陸の京都まで生きたまま運ぶことができたので、京都でハモ料理の文化が定着しました。