
ヤンニョム(薬念)とは ── 韓国焼肉の「味付け」の考え方
韓国の焼肉店でメニューを開くと、同じ部位に「生(생)」と「ヤンニョム(양념)」の二種類が並んでいることがある。値段も違う。この二つは味付けをしているかどうかの違いで、どちらを頼むかで一皿の印象がまるで変わる。ここではヤンニョムという言葉の意味と、注文するときの見分け方を整理する。
「生」と「ヤンニョム」──…
「生首肉」? ── 韓国焼肉メニューの直訳に驚く話
韓国の焼肉屋のメニューには「生○○(생○…
ぼったくり医療
医療にもぼったくりがあります。
○不必要…

ソウルの病院;日本語診療
ソウルには日本語に対応している病院がいく…

ロハス医院
東部二村洞にある個人開業医。
内科、小児科など、日本の内科医院と同様です。
院長は日本語と英語が堪能で、診療時間であれば予約は不要。
医院で対応できない検査や専門医の診療が必要な際には大学病院を紹介してくるのも日本の医院と同じです。
02-7470-7471
診療;平日…
建国大学病院
建国大学病院は地下鉄の駅に直結しています。
日本語コーディネーターは、日本の看護師資格を持ち、自衛隊中央病院に勤務した経験をもつ日本人看護師。
韓国の看護師免許はないので、医療行為はできませんが、日本時看護師に相談できる安心感があります。
ただし、日本語コーディネーターは常勤ではなく、日本人の予約がないなど不在のこともあるので、事前予約をオススメします。
02~2030-8361(英語/韓国語)
診療・予約共;…
順天郷大学ソウル病院
東部二村洞や麻浦・孔徳からの方は順天郷大学ソウル病院が便利でしょう。
二村駅と孔徳駅から京義中央線漢南駅まで乗換えなしで行くことができます。
前は日本語ドクターもいましたが、いまは日本語コーディネーターが常駐しています。
02~709-9058…

日本語診療;アサン病院
三成や蚕室周辺など、江南区に職場や自宅がある人なら現代アサン病院が便利です。
現代アサン病院は韓国最大の病院で、国際診療センターには韓国語と英語が堪能な日本人コーディネーターとして常駐しています。
こちらも日本語コーディネーターは1人なので、韓国語に不安な方は予約していくと良いでしょう。予約電話 02-3010-5001/02-3010-1192(日本語直通)
診療・予約共;平日9:30〜17:30(昼休憩あり)
アサン病院の行き方;
蚕室からはタクシーが便利です。
蚕室駅7番出口から約5分;3000〜4000Wです。
2号線蚕室ナル駅1・2番出口からシャトルバスがあります。
道路を渡ったところに停まります。
2号線蚕室駅から病院までのルートは遠回りで、シャトルバスやタクシーと徒歩で、所用時間はほとんど変わりません。
国際診療センターは東館(EAST)の1階にあります。
http://eng.amc.seoul.kr/asan/lang.eng.healthService.location.sp
東館の地下は売店と食堂街ですが、いわゆる病院の売店のイメージとはかけはなれていて、売場面積は住宅地の「個人スーパー」よりはるかに広く、商品も充実しています。

延世大学セブランス病院の日本語診療 ― 国際診療センターの予約・受診とアクセス【2026年版】
延世大学セブランス病院には韓国で最初に設けられた国際診療センターがあり、日本語で予約から受診まで対応してもらえます。ソウルで日本語の通じる大学病院を探すとき、最初の選択肢になる病院です。この記事では、予約の連絡先と、迷いやすい院内までの行き方をまとめます。
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韓国進出;営業車両
紆余曲折はあったものの、何とか事業者登録…
韓国進出;事業者登録と矛盾
はじめての韓国進出は、許認可を必要とする…
沙也可(金忠善)
沙也可(さやか)は、文禄・慶長の役(壬辰倭乱)で日本軍として朝鮮に渡りながら、投降して朝鮮に帰化したと伝わる人物だ。朝鮮名を金忠善(キム・チュンソン)といい、韓国では英雄的に語られる一方、日本側に対応する記録がないことから、その正体は長く謎とされてきた。
伝わる経歴
伝承では、沙也可は豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して加藤清正の軍とともに釜山に上陸したのち、3千人の兵とともに朝鮮側へ投降。以後は朝鮮軍の指導にあたり、火縄銃の技術を伝えて秀吉軍と戦ったとされる。戦後は金忠善と名を改めて朝鮮に帰化し、大邱近郊の友鹿に定着した。
なぜ「謎」とされるのか
上陸直後の投降は寝返りに相当する重大事だが、大軍が総大将に背いて寝返ったという記録が日本側に見当たらない。また「沙也可」という名も、当時の武将の名乗りとしては不自然だ。
一方で、朝鮮側にとっては英雄として扱われている人物であり、架空の日本人をわざわざ英雄に仕立てる必然性は乏しい。このことから、沙也可に相当する日本人は実在したと考えるのが自然だ、というのが多くの見方である。
有力な説:雑賀衆
正体については諸説あるが、比較的有力とされるのが「雑賀(さいか)衆」説だ。雑賀衆は現在の和歌山を主な拠点とした傭兵集団で、鉄砲の扱いに長けた集団として戦国時代に活躍した。「沙也可」という音が「さいか」に通じる点も、この説が支持される理由のひとつだ。
他にも候補として名の挙がる人物はいるが、その多くは戦後も日本側の記録に名前が見えるため、帰国したと考えられており、朝鮮に残った沙也可とは合致しない。
なぜ寝返りが起こり得たのか
雑賀衆は伊賀・甲賀と並ぶ集団として知られ、鉄砲を有効に用いる傭兵として各地の戦に加わった。伊賀は徳川家康に仕えて江戸幕府に召し抱えられ、甲賀は豊臣秀吉に仕えたのち江戸時代には冷遇されたが、明治維新では倒幕側として参戦した。これに対し雑賀は、江戸時代の到来とともに姿を消している。
戦乱の世が終われば傭兵集団は職を失いかねない。もし秀吉や加藤清正から十分な報酬を得て従軍していたのであれば寝返る理由は乏しいが、自弁で参戦していたのなら、より高い処遇を示した側につく者が出てもおかしくはない。素性が傭兵・忍びの集団であれば、日本側の正史に名前が残らないことにも説明がつく——これが雑賀衆説の骨子だ。
ゆかりの地
大邱近郊には金忠善を祀る鹿洞書院と、日韓交流史を展示する達城韓日友好館がある。訪問については別記事「沙也可:大邱・達城韓日友好館」で紹介している。
よくある質問
Q.…
