韓国の松を育てた日本人がいた 日韓友好の礎となった林業技師・浅川巧とは
2025年4月2日、ソウル中浪区の忘憂里(マンウリ)歴史文化公園で「日韓合同 浅川巧94周忌追慕式」が開催された。日韓修交60周年を記念する式典で、両国から40人余りが参加した。浅川巧は1891年、山梨県北巨摩郡甲村(現・北杜市)に生まれた林業技師である。秋田県大館営林所勤務を経て、1914年に兄・伯教を追って朝鮮に渡り、総督府農商工部山林課に就職して林業試験場に配属された。
当時の朝鮮半島は山林の荒廃が進んでおり、現地の風土に合う養苗法の開発と植林が巧の仕事だった。朝鮮の松の養苗には通常2年以上を要したが、巧はこれを1年に短縮する画期的な方法を編み出した。この功績もあって、韓国の人工林の37%は巧の手によるものと言われている。種子採取のために各地を回るなかで朝鮮の人びとの暮らしに触れた巧は、当時顧みられることのなかった陶磁器や家具、民芸品を収集。美術教師だった兄と研究を進め、1924年には柳宗悦の協力を得て景福宮内に朝鮮民族美術館を設立した。1929年『朝鮮の膳』、31年『朝鮮陶磁器考』を刊行し、朝鮮民芸の美を広める活動を続けた。
巧は朝鮮語を流暢に話し、韓服を着て現地の人びとと同じように暮らした。1931年、40歳の若さで病没した際には「棺を担がせてほしい」と申し出る朝鮮の人が後を絶たなかったと語り継がれている。墓は韓国人墓地への埋葬が許され、碑文にはハングルで「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」と刻まれた。墓はかつての同僚だった林業試験場の職員らによって守られ、今日まで追慕が続いている。
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韓国の松を育てた日本人がいた 日韓友好の礎となった林業技師・浅川巧とは(外信記者・佐々木和義)



