百済王朝の文化を訪ねて その2
百済(ペクチェ)ゆかりの地をめぐるなら、扶余(プヨ)と公州(コンジュ)の2都市が定番だ。公州はかつて百済の都・熊津(ウンジン)が置かれた地で、475年から538年に扶余(泗沘)へ遷都するまでの間、百済の中心地だった。この記事では、百済文化団地と、公州の公山城・武寧王陵を紹介する。扶余の史跡や百済の歴史については別記事「百済王朝の文化を訪ねてその1」で扱っている。
見どころ1:百済文化団地
17年の歳月と約6900億ウォンを投じて再現された、百済の王宮や寺院を再現したテーマパークだ。当時の文献はほとんど残っていないため、中国・日本の史書や同時代の建造物をもとに、想像を交えて復元されている。厳密な史実の再現というよりは、和・韓・中の様式が入り混じった独特の空間で、一見の価値がある規模の大きさが魅力だ。
園内は、百済後期(泗沘時代)の王宮を再現した「泗沘宮」、寺院エリアの「陵寺」(5層の木塔が見どころ)、身分ごとの住居スタイルを再現した「生活文化村」、そして建国初期の王城を再現した「慰礼城」など、複数のエリアに分かれている。敷地が広いため、主要エリアだけ絞って見学するか、園内シャトルを利用するかを事前に決めておくと効率よくまわれる。



見どころ2:公山城
公州はかつて百済の都・熊津(ウンジン)が置かれた地で、公山城はその王城のひとつだ。朝鮮時代にも山城として使われ続けたため、城内には朝鮮時代の遺構も残っている。城壁沿いに歩くと公州市街を一望でき、四季を通じて眺めの良い散策コースとして親しまれている。



見どころ3:武寧王陵
武寧王陵の発見は、韓国考古学史でも屈指の劇的なエピソードとして知られる。1971年、隣接する古墳の排水工事中に偶然、王陵の入口を示す墓誌石が見つかり、それまで盗掘の被害に遭っていない状態で発掘された。百済25代・武寧王の墓とされ、朝鮮時代の王陵が土まんじゅうが並んでいるだけのことが多いのに対し、武寧王陵は複数の古墳が集まる古墳群のなかにあり、内部を忠実に再現した模型で、当時の墓室の構造や副葬品の配置を見ることができる。出土品の多くは国立公州博物館に収蔵されている。


見どころ4:国立公州博物館
武寧王陵から出土した副葬品の多くが収蔵されている博物館で、入館は無料。金製の冠飾りや耳飾り、中国製の陶磁器など、当時の百済が中国・日本と活発に交流していたことを示す出土品が並ぶ。武寧王陵の見学とあわせて訪れると、古墳の内部だけでは分からない副葬品の細部までじっくり見ることができる。
公州という地名の由来
公州には「熊津(ウンジン)」=「熊(クマ)の渡し場」という古い呼び名があり、これが現在の地名「公州(コンジュ)」の語源になったという説がある。錦江(クムガン)沿いには、この伝説にちなんだ「熊津渡し場公園」もあり、川沿いの散策スポットとして親しまれている。
アクセスとモデルコース
百済文化団地は扶余に、公山城・武寧王陵は公州にあり、両都市はバスや車で1時間弱の距離だ。公共交通機関のみでの移動はやや不便なため、レンタカーか現地発のバスツアーを利用する旅行者が多い。1日目に百済文化団地、2日目に公州の史跡をまわるように、2都市に分けて日程を組むと余裕を持ってまわれる。
よくある質問
Q. 百済文化団地はどこにある?
A. 公州ではなく扶余郡にある。公州の史跡とセットでまわる旅行者が多い。
Q. 武寧王陵の魅力は?
A. 盗掘を免れた状態で発見された数少ない百済の王陵で、副葬品の配置がそのまま分かる貴重な史跡。
Q. 公山城はどれくらいで見学できる?
A. 城壁沿いを一通り歩いても1〜2時間程度。公州市街の眺めも楽しめる。
Q. 国立公州博物館は入館無料?
A. 基本的に無料。武寧王陵の出土品を中心に展示している。
Q. 公州と扶余、どちらを先にまわるべき?
A. 決まりはないが、百済の都が公州(熊津)→扶余(泗沘)の順に遷ったことを踏まえ、公州→扶余の順でまわると歴史の流れに沿って理解しやすい。

