慶州ナザレ園 ── 韓国に残った日本人妻たちの戦後
新羅王朝の都として知られる古都・慶州(キョンジュ)に「ナザレ園」という施設がある。1972年10月、終戦後も韓国に残った日本人妻たちの帰国を支援するために設立された社会福祉法人だ。国交のない時代に取り残された女性たちを保護してきたこの場所には、教科書には載らない戦後史が積み重なっている。
ナザレ園とは
1945年の終戦とともに、多くの日本人が韓国や中国から引き揚げた。その一方で、韓国人と結婚してそのまま残った女性たちがいた。日本で結婚し、帰国する韓国人の夫とともに海を渡った女性もいる。
朝鮮戦争で夫と死別したり、夫や子どもと生き別れになったりして独り身になりながら、当時国交がなかった日本へ帰ることもできない——そうした日本人妻たちを保護し、帰国を支援する目的でナザレ園は作られた。
日本ではすでに行方不明として死亡扱いになっていた人、韓国籍を取得した人、そして根強い反日感情のなかで日本人であることを隠して暮らしてきた人。事情はさまざまで、韓国政府はもちろん日本政府も、その実態を把握できていなかったという。
2,000人の存在と、100人の帰国
設立当初の位置づけは、帰国するまでの一時的な滞在施設だった。ナザレ園が把握した日本人妻は約2,000人。このうち日本で身元引受人が見つかった100人以上の帰国を支援した。
だが、身元引受人がいない人、そもそも帰国を望まない人も少なくなかった。すでに30年ほど前から、帰国者はゼロだという。帰る場所を持たない人たちにとって、ナザレ園は一時的な滞在施設ではなく、最期まで暮らす場所になった。
唱歌と、日本名
入所者は大正末期から昭和初期に生まれた世代だ。義務教育を終えた頃に太平洋戦争に突入し、終戦と同時に韓国へ渡った人が多い。日本での記憶は学校時代のものしか残っていないことになる。
長い韓国生活のなかで日本語を忘れた人もいる。それでも唱歌を歌うと思い出し、一緒に口ずさむのだという。90歳を超えてもなお、覚えている。
ナザレ園は入所者を日本名で呼ぶ。名を韓国風に変え、日本人であることを隠して生きてきた人たちだ。入所した当初、ふたたび日本名で呼ばれるたびに涙を流す人が少なくないという。
園内のすべての部屋でNHKを視聴できるようになっており、のど自慢や相撲を食い入るように見る入所者もいる。九州出身の方が熊本の地震に心を痛めていたこともあった。
訪問について
入所者数は年々減っている。2012年の訪問時には24人だったが、2016年4月時点では19人、平均年齢は92歳だった。韓国人の園長とスタッフの援助を受けながら生活している。
日本人として生まれ、韓国に渡って70年余り。ふたたび日本の土を踏むことも、いまの日本を自分の目で見ることもないまま、日本人として最期を迎える人たちがいる。その最期まで寄り添っているスタッフの存在は、日本人として感謝せずにはいられない。
韓流やK-POPをきっかけに韓国文化に関心を持つ人は多いが、機会があればぜひ訪れてほしい場所だ。慶州観光とあわせて足を運ぶこともできる。
よくある質問
Q. ナザレ園はどこにある?
A. 慶尚北道の古都・慶州にある。仏国寺や大陵苑などの慶州観光とあわせて訪ねることができる。
Q. いつ設立された?
A. 1972年10月。日韓に国交がなかった時代に帰国できずにいた日本人妻を支援するために設立された。
Q. どんな人が暮らしている?
A. 大正末期から昭和初期生まれの日本人女性たち。2016年時点で19人、平均年齢92歳だった。



